平成20年9月8日掲載
長野市篠ノ井岡田にある共和園芸農業協同組合はリンゴだけの専門農業協同組合です。そもそもは昭和21年更級郡共和村に設立された共和青果物出荷組合がはじまりです。現在の組合員は350名。栽培面積は約150ha。そのうちリンゴは147haです。
長野県のリンゴ栽培は明治7年から始まったといわれています。以来養蚕からリンゴへの栽培が急増しました。いまでは全県的に栽培されていますが、生産のほとんどは長野盆地に集中していて、津軽平野に次ぐリンゴ地帯になっています。そのなかでも“共和のリンゴ”は絶対的な信頼を得ています。この土地でできたリンゴだから、まずは地元の人に味わっていただきたいという生産者の基本姿勢がその信頼の根幹を支えています。何十年も前に地産地消の精神がこの土地に芽生えていたのです。その誇りこそが出荷量5554t、販売金額13.6億円(平成18)の実績につながっているのかもしれません。
平成20年9月1日掲載
長野市信更町信田地区は県内一の種籾の産地です。このあたりの海抜は5~800m。それぞれ海抜にそってコシヒカリ、あきたこまちの種籾が作られています。その広さは6660アールで180戸の農家がその生産に取組んでいます。
石坂宏さんは昭和33年に高校卒業と同時に家の農業に就き、以来50年にわたって種籾の生産につとめてきました。種籾生産は食糧米生産と違ったこまやかな管理と配慮が要求されます。今年の種籾の出来具合は次年の米の生産に大きく影響します。それだけに収量が多く、品質にすぐれ、病害虫に強い種籾づくりが石坂さんの日々の心がけです。こまめな水管理そして穂が出始めると“異品種抜き”が大事な作業になり村全体で共同しておこなうこともあるそうです。また、肥料少なめにして稲が倒れないように気を配っています。
石坂さんをはじめここに住む人々は長い年月をかけて種籾産地の信用と実績を培ってきました。
平成20年8月25日掲載
飯縄山のふもと、上ヶ屋麓原。昭和20年、東京の空襲から逃れて来た13才の明晴少年は家族とともに父・兼次郎さんの生まれ故郷に近いこの場所に移り住み開拓をはじめました。クワひとつに、カマひとつ、満足な道具もなく、食べるものもなく、現金収入の仕事もなく、農作業の術も知らずただただがむしゃらに体を動かすだけだったそうです。山菜で空腹をなぐさめ、米がある日はフスマを混ぜて醤油をかけて胃袋に流し込む、そんな生活が何年も続いたそうです。切り倒したカラマツの株の間に畑をつくり、思い通りの収穫もないままに次の希望へと日々をつないできました。けっして挫折をしない忍耐こそが荒地に灯をともす唯一の道だったのでしょう。
そんな厳しい開拓をともにした仲間は20家族。自らの生きる糧を求めて耕した大地に山口さんらの魂がしっかりと根づいています。
平成20年8月18日掲載
飯縄山をあおぐ、市内芋井地区の北部に広がる栄峰の農地は戦後に開拓されたものです。ここでとうもろこしとキャベツを夫婦でつくっている藤岡紀子さんの両親もこの地を開いた礎の人です。
「両親がこの地にはじめて立ったのは2月。その時期でもドラム缶の高さまで雪があったそうです。カラマツを切り倒し、牛や馬を使ってその根を引き抜き、畑を少しずつ拓いていったと聞いています」。戦後間もない時期、開拓という厳しい人生の道を選択した両親。そして、みずからの生きる糧を求める両親。家というひとつの機械をまわす歯車のひとつとして紀子さんも子どもながら必死に両親を助け働きました。親は子を思い、子は親を支え、家族はひとつの方向に舵をとる船のようかもしれません。
高校を卒業してからもその船から紀子さんは自ら降りようとはしませんでした。今年も、藤岡さんの両親が切り開いた大地は豊かな実りでみなぎっています。
平成20年8月11日掲載
市内川中島町御厨は広々とした田園地帯です。酒井忠行さんはここで50年もの間、桃を栽培しています。
地元の農業高校の卒業を待たれるようにして家の農業を助けてきました。当時、リンゴの木の間に植えた桃の木(品種:大久保)が50年経って、全国でも有名な桃の産地になりました。酒井さんは40アールで桃を栽培しています。「斜立主幹形仕立て」を考案した千野正夫さんとは小学校から高校まで同級生でした。以来、お互いに相談し合い、励まし合って農業に取組んできました。今年、酒井さんのその志が「後澤憲志基金賞」として褒賞されました。
いまはちょうど長野県で生まれた新品種「なつっこ」の収穫期です。そして超ブランド「川中島白桃」は掛けてあった袋がとられ、葉摘みが行われ、太陽の恵みをいっぱい受け取って色をつけ味を深めて、盆明けに収穫期を迎えます。酒井さんに夏休みは一日もありません。
平成20年8月4日掲載
市内真島町の西沢和教さんはプルーンをはじめとして、さくらんぼ、もも、ぶどう、りんごの栽培をしています。
なかでもプルーンはニューシュガー・スタンレー・ベイラーなどを15アールほど栽培しています。とりわけベイラーは糖度が高く、甘味があり人気です。「プルーンは品種で売り消毒はできるだけ少なく」を心がけ、40~50グラムの大きさで出荷するのがポイント。プルーンは小さく育てるほうが難しいそうです。
学生の時に父親が他界、ちょうどそれがリンゴの剪定時、すぐに消毒と、父親にかわって農作業を続けて行くうちに27年、農業にとりくむ日々がきょうも続いています。
平成20年7月28日掲載
鬼女紅葉伝説の山・荒倉山のふもとで今井功さんが栽培するミニトマトが完熟をむかえようとしています。
今井さんは79才。一人で150坪800本のミニトマトの他、かぼちゃやきゅうりの栽培にも取組んでいます。今井さんがミニトマトを作る上で一番にこだわっているのは土づくり。米ぬかや油粕を有効につかう工夫をしています。そしていらない葉や芽を取って、こつこつと枝を整えてあげるのもおいしいミニトマトをつくるための大事な仕事です。
今年も宝石のように熟したミニトマトは生涯現役を目指す今井さんの農業にかける心意気そのものです。
平成20年7月21日掲載
空気が澄切り風さわやかな飯綱高原で荒井久三・優子さんがキャベツをつくっています。毎朝3時からの仕事です。この生活をもう30年も続けています。その一途が金沢市場で認められ「芋井のキャベツ」として信頼されています。「やわらかく、あまい」と評判です。
4月末からの作業は雪が舞い始める11月上旬まで続きます。キャベツがりっぱに成長するまで100日間。その間、荒井さんは愛情を注ぎ、日々の成長を見守り、ここで育ったキャベツのできばえに絶対の確信を持っています。さらに久三さんと優子さんの仲の良さとやさしい人柄がキャベツをさらに美味しくさせています。
平成20年7月14日掲載
清水正文さん(46)は飯縄山の裾野・標高約1050mで23アールのピーマンを栽培しています。ピーマンをはじめて7年、品種は高冷地に適した京波です。狭い畑でも長い期間で栽培できるのが魅力です。
清水さんは30代で脱サラし、果てしない可能性をめざし、金儲けだけが目的でない、百姓のための百姓をやってみようと農業に取組んでいます。「毎年の仕事はこれと決まったことがなく思い通りにいかないもので、自然との知恵くらべです。いまは引き分けといったところでしょうか、学ばせてもらうことばかりです」と語る清水さんが大切にしていることばがあります。「天は高い、地は広い」は清水さんの農業の原点です。
平成20年7月7日掲載
大豆島の轟誠一・永子さんはトルコギキョウを栽培しています。およそ20年前、栽培効率に優れ、価格が安定していることからトルコギキョウの栽培をはじめました。もっぱら誠一さんが力仕事、永子さんが花の管理を担当してきました。6年前に誠一さんが退職。いまはお二人で毎朝3時からいっしょに働いています。
毎年11月に種をまき、6月初旬から収穫作業が始まります。週三回の収穫でおもに東京の市場に出荷されています。小さい芽を整理して、丈をあわせるなど丁寧な出荷作業が行われています。シュークリーム、エクローサブルー、北斗星、プティフルグリーンなどロマンチックな名前に囲まれている仕事場です。