
平成21年1月26日掲載
長野市川中島でえのき茸の栽培に取組む大屋強さんは高校生の時に父が始めたこの仕事を継いでいます。えのき茸は「いのちだけ」とよばれるほど作業は多忙です。朝5時から夜10時まで仕事は次々とあります。えのき茸は摂氏+5度に設定された部屋のコーンコブ(トウモロコシの穂軸)が添加された培地で育ちます。えのき茸が生育するには2ヵ月かかります。大屋さんはおよそ60万本のえのき茸を生育させていて、30人ほどの近所の主婦の皆さんに手を借りて毎日1万本の収穫をくりかえしています。茸はつねに生長しているため1日として仕事を休んだり手をぬくことはできません。
また「えのき茸は収穫してからも成長しているので 新鮮なうちに出来るだけ早く食べるのがいちばん」(大屋さん)茹でるだけでなく生のままサラダにして食べると甘くて、とても健康的な食感でオススメです。

平成21年1月19日掲載
長野市の農事組合法人更北水田組合代表理事・小山慎悟さんはひとつの大きな夢を持っています。「ナガノファーマーズパーク」計画です。地元の農家をひとつの小公園として、それがいくつか集まって農業体験型大公園とする計画で、地域資産をいかしつつ都市地域と農村地域との交流を推進しようとするものです。公園での体験を通して食の安全を体感し、人との会話の輪を広げ、農家の結束をさらに高めようと考えています。
組合では育苗、田植えなど農作業の受託も行い遊休農地の復元作業も進めています。遊休農地では酒米、小麦、大豆をつくり、地元小学校に出向いて子どもたちに食育の授業をしています。
「農家がみずからの力を信じて、新しい感覚をみがき、将来をきっちり見据えたビジョンを持って積極的に取組んでいかなければ次世代を担う人も伸びて行かない」小山さんは夢ある農業の道を切開き続けています。

平成21年1月12日掲載
長野市若穂にある温泉施設「湯~ぱれあ」の駐車場内に地元の野菜・くだもの直売所「湯~ぱれあ直売所」があります。
平成18年4月に若穂地区のJAグリーン女性部のみなさんが中心になってスタートした直売所です。長野市が認定する地産地消協力店のひとつです。来店のお客様は年々伸びていて年間のべ15000人、およそ1000万円の売り上げを実現しています。現在の運営会員は96名。それぞれの会員が遊休農地などをつかって野菜や果物を栽培して販売をしています。いまの季節でも50種以上の野菜・くだものが列んでいます。
新鮮で安心をモットーにして、会員はここに列べて買ってもらえる喜びをなによりもの励みにしています。いまは「綿内レンコン」が人気。若穂でできたものしか売らない、ここでしか買えないものにこだわっています。
平成21年1月5日掲載
平成20年12月29日掲載

平成20年12月22日掲載
本藤久和さんと妻のすみ子さんは市内屋島で春の七草を栽培しています。春の七草とはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロをいいます。なかなかおぼえられませんが、ちなみに秋の七草はハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオをいいます。
本藤さんは正月2日の初セリに間に合わせるために今月31日から七草の収穫作業をします。正月元旦は休みますが、2日から5日までその出荷に追われます。たくさんのアルバイトのみなさんに助けられての作業になるそうです。コタツにあたってミカンという正月とは縁がありません。
栽培で難しいのは出荷時期にあわせた生育。この時期にぴったりとあわせて、また容器の大きさにあわせることだそうです。本藤さんは「今年も健康で良い年であります様に」と書いたメッセージを正月の出荷といっしょに添えています。

平成20年12月15日掲載
松代のやるきがあってチームワーク抜群の10人の女性グループが「松代農産加工所あんず村」をたちあげたのは3年前です。「皆がまじめで、仕事の鬼で、ズルをしらない人の集まりです」とまとめ役の小林正子さんが胸をはります。
それぞれが出資金を出し合ってスタートした意欲的な集団です。「おやきはたくさんあるけれど、それぞれに特色があり旨い、うちのおやきもそのひとつです」とスタッフが自信をもって作っている「あんず村のおやき」は地元特産の長いもをすりおろし、それを小麦粉にまぜているのがミソで、まさにその味噌もそれぞれの家で仕込んだ味噌をつかっています。
そして松代東条の特産である杏を生のまま酢でしめて加工した「あんず村のあんず砂糖漬け」はどこにもない風味があります。あんず村の商品はエーコープ松代店と長野松代総合病院の売店で販売しています。

平成20年12月8日掲載
(有)たんぽぽの代表・小池峰子さんはエネルギッシュな人です。長野市信里は戸数450の典型的な中山間地です。平成4年から小池さんら地元農家の女性たちがふるさとの遊休農地の活用と誰もが生きがいと希望を持って生活して働ける環境づくりに取組んでいます。
地元の採れたての新鮮で安心して買っていただける直売所を開くことから事業をスタートさせ、さらにおやき工房をつくりました。そこで地元の達人たちがつくるおやきは評判です。さらに焼きたてのおやきとみそ汁、手作り豆腐がいっしょになった「薬膳おやきセット」は信州味コンクールで表彰されました。また地産地消に心がけたお弁当はふるさと弁当大賞最優秀賞を受賞し、かりんとう「犬石ものがたり」も人気商品です。昨年の「日本農業賞特別部門第3回食の架け橋賞」受賞はみんながいっしょに頑張った証です。

平成20年12月1日掲載
鬼無里手づくり味噌の会のみなさんは手づくり味噌を通して地域おこしと仲間づくりに取組んでいます。会員は25名。一年目の昨年は300キログラム、今年は1000キログラムを販売します。採算がとれるようになるには1トンが目標で、今年は来年販売用に1.5トンを仕込みました。いまは皆がボランティアですが、来年こそは人件費が払えて儲かるようにしたいと真剣に取組んでいます。
大豆と米は地元でとれたものを使い、塩は天日塩を沖縄の海水で溶解し、平釜でじっくりと時間をかけて煮詰めた沖縄の塩・シママースを使っています。価格は普通の塩の3倍もするそうです。
鬼無里の精魂が込められた手づくり味噌は500g入り550円、800g入り750円で、鬼無里農林産物直売所ちょっくらで販売しています。ぜひ、お買い求めください。

平成20年11月24日掲載
飯綱高原・大座法師池のそばにある、飯綱ふれあいファーム直売所は長野市地産地消協力店として認定された12店舗のうちのひとつです。
地元、芋井・飯綱高原で生産されたものを近隣地域で消費していただこうと平成10年にスタートしました。農協を退職した松本義久さんが代表をつとめています。5月の連休から12月下旬まで営業をしています。リンゴ、ジャガイモ、マメ、ピーマンなどがふんだんにならんでいます。市街地からはもとよりリンゴや野沢菜のシーズンは新潟県などから多くの皆さんが買い物に訪れます。また、インターネットによる注文を受けて発送もしています。
地元の人のよりどころになっていて昼時には店内で何人もの人がお昼ご飯を囲むことも珍しくありません。生産者と消費者の交流以上のつながりがここから生まれています。

平成20年11月17日掲載
芳川智恵さんが代表をつとめる(有)さんやそうは地元でとれた新鮮な野菜や果物を販売するグループと一緒に長野市大門町のJAながの門前農館で長野の郷土食を作って販売しています。
そもそもはJA女性部で活動していた女性グループがうまいおやきを全国にとどけようと平成14年にスタートしました。いまは16人のメンバーが交代で働いています。スタッフは自らはもちろん市民や観光客の“よりどころの場”づくりに心がけています。
おやきの具につかう野菜は地産地消にこだわっています。なかでもここのオリジナル「辛大根」は自慢の品で評判も上々です。おやきのほかに地元でできた旬のものをつかったメニューの開拓にもとりくんでいます。これからの寒い季節にはたくさんの野菜と太めのうどんを料理した「ぶっこみうどん」がぴったりです。

平成20年11月10日掲載
長野市大町の関博文さんは昭和58年に長野県農業大学校を卒業と同時に就農し、今は果樹3ha、水田1haを経営しています。リンゴは平成5年の「長野県うまいくだものコンクール」で農林大臣賞を受賞した「ふじ」を主体にして、葉摘み・玉まわしの手間がかからない加工に適した品種にも力を入れて、ブラムリー、グラニースミス、春紅玉、ピンクレディー(写真)など多品種の栽培を柔軟に取組んでいます。特にピンクレディーはオーストラリアで育種され世界的に注目されていて、関さんはその「日本ピンクレディー協会」副会長として加工適正の研究に力を注いでいます。
いまもっとも関心を持っているのはスイーツ業界との連携で、近隣の洋菓子店に積極的に売り込みをはかっています。また、仲間といっしょにシードル(リンゴの発泡性果実酒)の試作にも取組んでいます。ひとつひとつの夢が関さんを支えています。

平成20年11月3日掲載
秋深まる今、長野市篠ノ井の岩野橋の近くで、宮尾英一さん(54)と三代子さんがゴボウの収穫に追われています。
英一さんは6年前にそれまで勤めていた会社を退職して以来、父のあとを継いで農業に就き、「月によっては収入がないこともあり、会社勤めの月々の給料生活のありがたみを知った」英一さんですが、いまはラ・フランス、長いも、25アールのゴボウを栽培しています。品種は山田早生。ゴボウ抜きという言葉がありますが、収穫作業は”抜く”ものではなく“掘る”ものなんですね。ゴボウはいまが旬。収穫は年内いっぱい続きます。「安心して食べられて、宮尾さんちのゴボウはおいしいね、と言われるものをこれからも作り続けたい」と三代子さんははりきっています。
宮尾さんがつくったゴボウはAコープ松代店で販売しています。

平成20年10月27日掲載
長野市信更町。柴田清士さんは10年前からヤーコンの栽培に取組んでいます。ヤーコンは南米アンデス高地を原産地とする健康野菜といわれています。柴田さんは「ヤーコンを食べて信更のみんなが元気でいられるように」と願って養蚕の桑畑の遊休農地を開墾し辛抱強く栽培に取組んできました。いまは信更の300軒ほどでつくっています。
ヤーコンは生活習慣病の予防に効果的といわれていて、その製品化にもとりくみ、試行錯誤の末に「ヤーコン茶」を開発しました。ヤーコンの料理法は、生で食する場合は皮をむき塩水で3分程アク抜きするか、レモン汁をかけると茶色く変色しにくくなり、加熱する場合はタワシなどでよく洗いヤーコンを皮ごと料理してもいいそうです。
家族が助け合ってヤーコンに本気でとりくむ柴田家の家庭円満がまずはヤーコンの効用となっています。

平成20年10月20日掲載
上水内郡信濃町柏原の中村六郎の句といわれる「信濃では月と仏とおらがそば」にあるように信州は古くからソバの名産地でした。戸隠では水田が少なく大事な主食でした。“ソバは75日”などといわれて畑にまきつけてから収穫までの期間が短く、戸隠のほとんどの農家では麻の裏作として栽培されました。一日一食はソバ。夜の食事はソバと決まっていたそうです。夏ソバは8月に、秋ソバは10月に収穫期になります。
平成18年から戸隠そば再興大作戦会議会長・山口庄一さんは戸隠のソバを昔のものに戻そうと13人の仲間とともに在来種復興の大作戦に乗り出しています。旧来の種を2年間の試験をして栽培する品種を決めました。黒化率70%がもっとも刈取り時期に適しているといわれています。今月いっぱい刈取りに追われるそうです。
地元で穫れたソバが地元のソバ店から頼りにされることが多くなり山口さんらの大作戦の効果も上々です。

平成20年10月13日掲載
平山豊文さんは長野市内上ヶ屋のビニールハウス18棟でイチゴを栽培しています。栽培は長野県オリジナルの「サマープリンセス」と北海道生まれの「スズアカネ」の高冷地栽培に適している二種です。イチゴハウスでは作業性にすぐれている高設栽培とコストがかからず地力をつかえる土耕栽培が行われています。
夏秋のイチゴはいままではアメリカ産の冷凍ものが主力でしたが安全・安心の国産品が求められてきています。おもに東京のケーキ店を中心に販売しています。平山さんは30代で運送会社を起し青果物の運送をてがけるなど生鮮流通の仕事をしてきました。そのかたわら農業の仕事もふやしていきました。
平山さんは「イチゴの仕事は管理をしっかりやりさえすれば実がなり、手をかけた分だけ結果にあらわれ、収穫の喜びを1年のうちで何回も味わえるのが魅力」と語っています。

平成20年10月6日掲載
市内上野の中澤さんは陽当たりの良い南斜面の4反歩の畑でふじ、秋映、シナノゴールド、シナノスイート、ぐんま名月、シナノピッコロのりんごを栽培しています。今月10日すぎにはシナノスイートの収穫がはじまります。シナノスイートは1978年に長野県果樹試験場で生まれ1996年に品種登録された品種で、果汁が多く、甘さも強く、香りもよいのが特徴です。
かつて中澤家では1000箱のりんごを出荷していたこともあり、およそ10万個のりんごのひとつずつに袋掛けをしていました。ご主人は会社勤めでおもに紀子さんがりんご栽培に取組んできました。りんごは1年に一度しかできないもの。毎年毎年が真剣勝負。だからこそ改善と努力を続けてきたそうです。
きょうも、りんごのひとつひとつに語りかけるようにして作業が続けられています。紀子さんが育てたりんごはもうすぐ旅立ちです。

平成20年9月29日掲載
篠ノ井塩崎林見でりんご栽培を営む立山幸孝さんは67才。りんごづくり40年のキャリアです。
陽当たりよい傾斜地の70アールの土地でりんごを栽培しています。収穫適期を迎えようとしている「秋映」は10アールほど栽培しています。「秋映」は「シナノゴールド」、「シナノスイート」とともに長野県で生まれた品種で「信濃りんご三兄弟」とよばれています。「秋映」は中野市の故・小田切健男さんが「つがる」と「千秋」を交配し、育成した品種で、平成5年3月に品種登録されています。独特な濃いあずき色、甘味が多く、日持ちがいいのが特徴です。
立山さんには「りんごはやっぱり赤くなければ」という強いこだわりがあります。この時期、旬の赤色に囲まれての仕事に追われて休む暇はありません。

平成20年9月22日掲載
江戸時代、戸隠の九頭竜神の第一のお供えは梨が第一とされていたそうです。郷土史家・宮澤和穂氏の研究によると、「江戸時代の「和漢三才図会」には「伝曰、神形九頭、而在岩窟内、以梨為神供」と記され、梨が第一の神供とされていた。また、神津文雄氏によれば、歯の神様として九頭竜神が多くみられるとともに、歯痛の際に行われるさまざまな習俗の中には、梨が関連して登場するという。このように九頭竜神は、梨を第一の神供とする歯の神様として広く周知されていた」(「長野」第170号)しかし、なぜ歯痛と梨が結びついているのかはよくわからないそうです。
梨は白い花を咲かせてから150日が収穫適期といわれていて、荻原照男さんの16アールの梨畑はいまが収穫の真っ盛り。妻の洋子さんとのなごやかな作業が来月10日ごろまで続きます。

平成20年9月15日掲載
巨峰は高級ぶどうのひとつです。長野盆地は上田盆地とならんで巨峰の産地です。
豊野・蟹沢の小林喜三博さん(58)は水田から転作して、20代からぶどうの栽培に取組んできました。現在は5反歩で栽培をしています。この地域の生産量は10年前から比べると生産者の高齢化にともなって当時の半分ほどになりましたが、1ケース4kgで5万ケースを出荷しています。
ぶどうの栽培はリンゴより早く出荷できるので台風などの自然災害にあう危険がすくなくてすみます。巨峰(たねなし)は8月下旬頃から収穫がはじまり9月が最盛期になります。6月の開花期の夜温が14度以下になると成長が止まり良い実ができにくいといわれています。また寒暖の差が甘味をつくるのだそうです。ぶどう一粒がおよそ20g。それが30~35粒ついて一房になります。妻の公子さんといっしょに秋の実りの喜びを実感しています。

平成20年9月8日掲載
長野市篠ノ井岡田にある共和園芸農業協同組合はリンゴだけの専門農業協同組合です。そもそもは昭和21年更級郡共和村に設立された共和青果物出荷組合がはじまりです。現在の組合員は350名。栽培面積は約150ha。そのうちリンゴは147haです。
長野県のリンゴ栽培は明治7年から始まったといわれています。以来養蚕からリンゴへの栽培が急増しました。いまでは全県的に栽培されていますが、生産のほとんどは長野盆地に集中していて、津軽平野に次ぐリンゴ地帯になっています。そのなかでも“共和のリンゴ”は絶対的な信頼を得ています。この土地でできたリンゴだから、まずは地元の人に味わっていただきたいという生産者の基本姿勢がその信頼の根幹を支えています。何十年も前に地産地消の精神がこの土地に芽生えていたのです。その誇りこそが出荷量5554t、販売金額13.6億円(平成18)の実績につながっているのかもしれません。

平成20年9月1日掲載
長野市信更町信田地区は県内一の種籾の産地です。このあたりの海抜は5~800m。それぞれ海抜にそってコシヒカリ、あきたこまちの種籾が作られています。その広さは6660アールで180戸の農家がその生産に取組んでいます。
石坂宏さんは昭和33年に高校卒業と同時に家の農業に就き、以来50年にわたって種籾の生産につとめてきました。種籾生産は食糧米生産と違ったこまやかな管理と配慮が要求されます。今年の種籾の出来具合は次年の米の生産に大きく影響します。それだけに収量が多く、品質にすぐれ、病害虫に強い種籾づくりが石坂さんの日々の心がけです。こまめな水管理そして穂が出始めると“異品種抜き”が大事な作業になり村全体で共同しておこなうこともあるそうです。また、肥料少なめにして稲が倒れないように気を配っています。
石坂さんをはじめここに住む人々は長い年月をかけて種籾産地の信用と実績を培ってきました。

平成20年8月25日掲載
飯縄山のふもと、上ヶ屋麓原。昭和20年、東京の空襲から逃れて来た13才の明晴少年は家族とともに父・兼次郎さんの生まれ故郷に近いこの場所に移り住み開拓をはじめました。クワひとつに、カマひとつ、満足な道具もなく、食べるものもなく、現金収入の仕事もなく、農作業の術も知らずただただがむしゃらに体を動かすだけだったそうです。山菜で空腹をなぐさめ、米がある日はフスマを混ぜて醤油をかけて胃袋に流し込む、そんな生活が何年も続いたそうです。切り倒したカラマツの株の間に畑をつくり、思い通りの収穫もないままに次の希望へと日々をつないできました。けっして挫折をしない忍耐こそが荒地に灯をともす唯一の道だったのでしょう。
そんな厳しい開拓をともにした仲間は20家族。自らの生きる糧を求めて耕した大地に山口さんらの魂がしっかりと根づいています。

平成20年8月18日掲載
飯縄山をあおぐ、市内芋井地区の北部に広がる栄峰の農地は戦後に開拓されたものです。ここでとうもろこしとキャベツを夫婦でつくっている藤岡紀子さんの両親もこの地を開いた礎の人です。
「両親がこの地にはじめて立ったのは2月。その時期でもドラム缶の高さまで雪があったそうです。カラマツを切り倒し、牛や馬を使ってその根を引き抜き、畑を少しずつ拓いていったと聞いています」。戦後間もない時期、開拓という厳しい人生の道を選択した両親。そして、みずからの生きる糧を求める両親。家というひとつの機械をまわす歯車のひとつとして紀子さんも子どもながら必死に両親を助け働きました。親は子を思い、子は親を支え、家族はひとつの方向に舵をとる船のようかもしれません。
高校を卒業してからもその船から紀子さんは自ら降りようとはしませんでした。今年も、藤岡さんの両親が切り開いた大地は豊かな実りでみなぎっています。

平成20年8月11日掲載
市内川中島町御厨は広々とした田園地帯です。酒井忠行さんはここで50年もの間、桃を栽培しています。
地元の農業高校の卒業を待たれるようにして家の農業を助けてきました。当時、リンゴの木の間に植えた桃の木(品種:大久保)が50年経って、全国でも有名な桃の産地になりました。酒井さんは40アールで桃を栽培しています。「斜立主幹形仕立て」を考案した千野正夫さんとは小学校から高校まで同級生でした。以来、お互いに相談し合い、励まし合って農業に取組んできました。今年、酒井さんのその志が「後澤憲志基金賞」として褒賞されました。
いまはちょうど長野県で生まれた新品種「なつっこ」の収穫期です。そして超ブランド「川中島白桃」は掛けてあった袋がとられ、葉摘みが行われ、太陽の恵みをいっぱい受け取って色をつけ味を深めて、盆明けに収穫期を迎えます。酒井さんに夏休みは一日もありません。

平成20年8月4日掲載
市内真島町の西沢和教さんはプルーンをはじめとして、さくらんぼ、もも、ぶどう、りんごの栽培をしています。
なかでもプルーンはニューシュガー・スタンレー・ベイラーなどを15アールほど栽培しています。とりわけベイラーは糖度が高く、甘味があり人気です。「プルーンは品種で売り消毒はできるだけ少なく」を心がけ、40~50グラムの大きさで出荷するのがポイント。プルーンは小さく育てるほうが難しいそうです。
学生の時に父親が他界、ちょうどそれがリンゴの剪定時、すぐに消毒と、父親にかわって農作業を続けて行くうちに27年、農業にとりくむ日々がきょうも続いています。

平成20年7月28日掲載
鬼女紅葉伝説の山・荒倉山のふもとで今井功さんが栽培するミニトマトが完熟をむかえようとしています。
今井さんは79才。一人で150坪800本のミニトマトの他、かぼちゃやきゅうりの栽培にも取組んでいます。今井さんがミニトマトを作る上で一番にこだわっているのは土づくり。米ぬかや油粕を有効につかう工夫をしています。そしていらない葉や芽を取って、こつこつと枝を整えてあげるのもおいしいミニトマトをつくるための大事な仕事です。
今年も宝石のように熟したミニトマトは生涯現役を目指す今井さんの農業にかける心意気そのものです。

平成20年7月21日掲載
空気が澄切り風さわやかな飯綱高原で荒井久三・優子さんがキャベツをつくっています。毎朝3時からの仕事です。この生活をもう30年も続けています。その一途が金沢市場で認められ「芋井のキャベツ」として信頼されています。「やわらかく、あまい」と評判です。
4月末からの作業は雪が舞い始める11月上旬まで続きます。キャベツがりっぱに成長するまで100日間。その間、荒井さんは愛情を注ぎ、日々の成長を見守り、ここで育ったキャベツのできばえに絶対の確信を持っています。さらに久三さんと優子さんの仲の良さとやさしい人柄がキャベツをさらに美味しくさせています。

平成20年7月14日掲載
清水正文さん(46)は飯縄山の裾野・標高約1050mで23アールのピーマンを栽培しています。ピーマンをはじめて7年、品種は高冷地に適した京波です。狭い畑でも長い期間で栽培できるのが魅力です。
清水さんは30代で脱サラし、果てしない可能性をめざし、金儲けだけが目的でない、百姓のための百姓をやってみようと農業に取組んでいます。「毎年の仕事はこれと決まったことがなく思い通りにいかないもので、自然との知恵くらべです。いまは引き分けといったところでしょうか、学ばせてもらうことばかりです」と語る清水さんが大切にしていることばがあります。「天は高い、地は広い」は清水さんの農業の原点です。

平成20年7月7日掲載
大豆島の轟誠一・永子さんはトルコギキョウを栽培しています。およそ20年前、栽培効率に優れ、価格が安定していることからトルコギキョウの栽培をはじめました。もっぱら誠一さんが力仕事、永子さんが花の管理を担当してきました。6年前に誠一さんが退職。いまはお二人で毎朝3時からいっしょに働いています。
毎年11月に種をまき、6月初旬から収穫作業が始まります。週三回の収穫でおもに東京の市場に出荷されています。小さい芽を整理して、丈をあわせるなど丁寧な出荷作業が行われています。シュークリーム、エクローサブルー、北斗星、プティフルグリーンなどロマンチックな名前に囲まれている仕事場です。