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・鬼無里地区生活改善グループ協議会 |
鬼無里地区生活改善グループ協議会は乾燥野菜の普及に取組んでいます。「鬼無里は新潟に境を接する日本海型気候の豪雪地帯です。今でこそ、車で自由に買い物に出かけたり、移動スーパーが訪れたり、お金さえあれば何でも手に入ります。また、冷蔵庫で冷凍をしておくことも可能です。その昔は「知恵」によりさまざまな「たべもの」を手に入れていました。数多くの知恵のうち「凍み」があります。真冬の冷たい空気に触れさせることで、野菜の水分を凍らせて脱水します。こうすることで野菜の保存性を高め、不足気味な早春の食卓をにぎやかにしました。特に、寒干し大根の煮物は、お田植えの際には欠かせないものでした。それは、たっぷりの水で戻してから食べる様子が、その年の米作りに水が豊富にあるようにと願ってのことでした」。 |
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・花見敏史さん |
農業を職業として意欲と能力のあるプロの農業者を育成するために認定農業者制度があります。松代清野の花見敏史さん(52才)はその認定農業者のひとりです。ハウス栽培のトマトやキュウリなど20種以上の多品目の野菜を栽培しています。有機質肥料を使い、できるだけ農薬の使用をひかえているそうです。川中島合戦で上杉謙信が陣をかまえた妻女山の近くの500坪のハウスでは、いまが「つるさげ」と呼ばれるトマトの誘引作業の真っ最中。これはクリップでトマトの樹を挟み、上から吊るすようにして管理や収穫をスムーズにする作業です。敏史さんは農業をはじめて15年。両親、妻といっしょに「頭をつかった農業」に取組んでいます。 |
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・清水昭二さん |
川中島で「川中島白桃」の栽培に取組んでいる清水昭二さんは昭和7年生まれの75才。昭和50年頃、はじめて桃の栽培を始めました。そのころはわからないことばかりであったそうです。しかし、農業への情熱だけは誰にも負けませんでした。桃の木が休眠している冬のいまが剪定作業の真っ最中。ハサミやノコギリを使ってほぼ一定の形に仕立てます。それは地元の千野正雄氏が考案した「斜立主幹形仕立て」です。桃の木全体の形を確認しながら枝を切り落としていきます。単純に見えますが経験と知恵が勝負の仕事です。忙しくなると「涙を三度ながして嫁にだした」一人娘さんが手伝ってくれます。「命をつなぐ農業を軽くみるなよ」といつも教えて育てあげた娘さんだそうです。 |
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・宮本智さん |
松代にお住まいの宮本智(みやもとさとし)さんは昭和6年生まれの76才。いまは26年前からはじめた20アールで栽培しているアスパラガスの収穫に追われています。例年、2月の中旬頃から収穫が始まります。4月に入るとアスパラガスの成長に追われるように忙しくなり、収穫は朝と夕の二度になるそうです。1、穂先がまっすぐで 2、開いていないものがいい、と教えていただきました。「農業にプライドを持っている」と語る宮本智さん。日々の仕事をコツコツと積み上げて、社会との関わり方を高め続ける努力こそが農業のプライドと誇りになるのでしょう。「夢とロマンをもって農業に取り組む」宮本智さんの姿にわたしたちも励まされます。 |
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・黒岩さとみさん |
黒岩さとみさんは2年前に69才で他界した父・邦光さんが残したサクランボハウスで母のエツ子さんといっしょに受粉作業を開始しました。邦光さんが定年後に植えたさくらんぼは10年がたちました。「日本一のさくらんぼをつくりたい」が口ぐせだった邦光さんは懸命に勉強を重ねていました。志半ばで病に倒れてしまいましたが、邦光さんが考えだした「垣根つくり」という独特の栽培方法の研修に本場・山形県から毎年のように視察の人々が訪れます。邦光さんの志はエツ子さんとさとみさんにしっかりと引き継がれています。邦光さんの志が花となり、エツ子さんとさとみさんの願いが受粉され、親子の愛が赤く実るのは5月です。 |
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・酒井悦男さん |
松代町・清野の酒井悦男さんは高校卒業と同時に、幼いころから決めていた仕事「農業」に迷うことなく就きました。25才の時、およそ2800万円をかけてビニールハウスを建設して、現在は36アールのビニールハウスで、きゅうりとトマトの栽培に取組んでいます。きゅうりは2月末から収穫がはじまっています。このビニールハウスのきゅうりの株は約1400本。110〜140グラムになったものから毎日出荷されています。6月中旬まで続きます。酒井悦男さんは「食料が不足して困るのは国民・消費者であって農家ではない。農政は農家のためではなく、国民・消費者のためにならなければいけない」と考えています。 |
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・小滝愛子さん |
長野市・赤沼の小滝愛子さんの名刺には「輝く農業をめざす」と書かれています。農業体験のなかった愛子さんは嫁いでから一念発起して学校に通い一から農業を学びました。赤沼はリンゴづくりが盛んですが「リンゴは一年たたないと収入にならない」と野菜づくりにも取り組みました。“自分と相性があう野菜”を選びアスパラガスとズッキーニをつくり始め「ズッキーニのはじめての収入は娘の学校の入学金にしました」。「野菜の場合は月々の収入があり助かります」。農業者は、丹誠こめてつくったものが、考えた通りの収穫になり、それが自信となって、自らの才覚と努力が世の中を開いて行くことを知るのかもしれません。 |
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・島田 武さん |
ビニールハウスが立ち並ぶ松代町清野。そのひとつで島田武さん・澄子さん夫妻がシレネ・ブルガリス(グリーンベル)を栽培しています。以前は長いもを作っていましたが昭和53年から花栽培に。その時の武さんの第一声を澄子さんはしっかり記憶しています。「これからは花をつくるんだから地下足袋をやめてスニーカーで働く」新しいことに挑戦する武さんのなみなみ成らぬ決意です。そして8年前、シレネ・ブルガリスの栽培に取組み始めました。シレネ・ブルガリスは昼間あたたかくなると花がしぼんでしまいます。「二人で働いているので夫婦の会話が多くて楽しいですよ」と澄子さん。朝早くからの収穫は5月まで続きます。東京、大阪、京都、名古屋に出荷されています。 |
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・大岡農村女性ネットワーク |
大岡農村女性ネットワークの皆さんは地元で穫れた大豆と米を使った味噌作りに取組んでいます。うまい味噌作りの手順は、1、米を2時間ほど蒸して冷えてから糀菌を均一に混ぜて糀をつくる。2、大豆を水洗いして一昼夜水に浸す。3.大豆を大釜で3時間ほど煮て、大豆が指でつぶれるようになったら火を止めて蒸らす。この時、焦がさないように注意。4、大豆をつぶし、さましながら糀と合わせ、煮汁を加える5、まんべんなく混ぜ合わせ樽に詰め押し蓋をする。6、暖かい場所に置いて熟成させ、お盆過ぎに天地返しをして均一に熟成させる。7、熟成した味噌は涼しい場所で管理をして、11月頃から食べられます。ちなみに、味噌50kgに大豆13kgと米15kgが必要です。 |
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・中沢勝茂さん |
市内駒沢の中沢勝茂さん(70才)の梨畑では、やわらかくやさしい花色につつまれて受粉作業がおこなわれています。このあたりで洋梨の栽培がはじまったのは20年ほど前。洋梨は食べごろの判断が難しいといわれています。洋梨は和梨と違い、木で完熟したものを食べるのではなく、ある程度、木で熟したものを冷蔵庫で一定の温度で2週間程保存し追熟させてから出荷されます。「ラ・フランス」は明治36年にフランスから輸入されたといわれています。見た目はゴツゴツしていますが、食べ頃のラ・フランスは和梨にはない柔らかな舌触りと豊かな香りがあり、一度食べたら忘れられない味が特徴です。「仕事はきついが、あと10年は頑張りたい」と中沢さんは張り切っています。 |
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・大沢健一さん |
大沢健一さん51才。農業に就いて30年。この梨畑もほぼ同年齢で50アールの栽培地です。ほかにりんごを100アール、水田を14アール、すももを5アール栽培しています。農家の長男に生まれた健一さんは子どものときから家の仕事を継ぐものだと思い続けて特別な迷いもなく農業の道を選んだそうです。「りんごも梨も、ものを言うことはありませんが、形になってあらわれます、手入れの愛情は伝わるものなんです。子どもたちには、社会のなかにある農業なんだから、いろんな社会を見てからでも農業を始めるには決して遅くはないと言ってあります」センスのよい生き方が洋服の着こなしにもあらわれて「あーこんなふうに農業をしてみたいな」と思わせる大沢さんでした。 |
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・荒井忠幸さん |
豊野町蟹沢の荒井忠幸さん(42)は、りんごとぶどうを栽培しています。りんごでは新しい農業と地域振興に取り組む青年農業者に贈る中日農業賞を受賞し、ぶどうは巨峰の種有りにこだわっています。いまはりんごの摘果作業に追われています。「りんごは美味いものをつくるのは当然、さらに皆さんに食べていただいて何かを感じてほしい、美味しく食べられる日々の健康やごくあたりまえの生活が営まれている喜びを実感してほしい、私がつくるりんごやぶどうがそのきっかけになれば嬉しい」。妻・恵子さんは小布施町で開院している 神経内科の専門医。医療と農業、まさに「医食同源」。夫婦でその接点のはるか高みをめざしています。 http://www.janis.or.jp/users/chu798 |
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・大平芳慧さん |
大岡の大平芳慧さんは、自然の力を生かし、環境を汚染しない農業に取組んでいます。米の安全性を水と水田の環境を守り支えることから学ぼうと水田環境鑑定士を修得し、また、米の食味、品質、栽培法を鑑定する食味鑑定士も身につけました。「米は水が基本」、この土地に生まれ、18才から母と一緒に農業をしてきた大平さんは、この土地で生まれる米にぜったいの自信を持っています。「農業が縁で日本全国を旅行ができ、いろいろな人に出会えて喜びを分かち合うことができる。ずくをだせば生活がうるおう。やめることはいつでもできる、いつまでできるか、いくつまでできるか、挑戦してみよと思う」今日も、大平さんは笑顔で農業と向き合っています。 |
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・大澤永治さん |
三才で農業を営む大澤永治さん。ことしも、朝の4時から夜の7時まで収穫、箱詰め、出荷と家族4人(写真:左から長女・暢子さん、永治さん、次男・寿士さん、妻・みつ江さん)、さくらんぼの収穫作業に追われています。佐藤錦、正光錦、月山錦、さおりを栽培しています。それぞれに甘味、酸味の特徴があります。さくらんぼは保存がきかないので旬がはっきりしています。日本では明治9年から全国に広まりましたが、その栽培は難しく人の知恵と努力が必要とされてきました。気象条件の難しさもふくめて手間がかかり、永治さんのビニールハウスでもこまめな温度管理と雨よけがおこなわれています。いま、さくらんぼがいっせいに実り「赤い宝石」がきらきらと輝いています。 |
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・後藤貴史さん |
5月27日(水)篠ノ井石川で、農業組合法人510ファーム・後藤貴史さん(40)が今年初めての田植えを行いました。後藤さんが側条施肥による減肥と疎植栽培でつくるコシヒカリは長野県原産地呼称管理制度に「塩崎米」として登録されています。「稲は地力で、麦は肥料で作れ」という言葉があるそうですが、年々の農業従事者高齢化にともない、田んぼが本来の力を保ち続けることが困難になってきています。その「地力」を耕し維持させるため後藤さんの出番が多くなっています。後藤さんがあやつる田植機は8条植えの大型農機です。後藤さんのスピーディーでたくましい仕事ぶりはまさに「田んぼのスーパーマン」。頼りがいのある顔が印象的です。 |
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・荒井清さん |
荒井さんが栽培しているトマトの真っ赤な色は荒井さんの農業にかける情熱の色かもしれません。荒井さんは、無化学肥料、50%減農薬栽培のうえに燐酸優先型生育、アミノ酸態窒素と細胞密度向上で糖度増加をめざし、また、光合成促進栽培と硝酸態チッソ含量の少量化による「うまくて安全で安心して食べられる」農産物を消費者に届けることを目標にしています。荒井さんが栽培しているトマトは微生物酵素農法を基本として、化学肥料を使わず酵素で土と作物の自然力を引き出してトマトを育てています。皮が柔らかく、すっきりした甘味が特徴です。「生育の鍵を握るのは土地の力であり、育てる力の機能を持つ土づくり」こそが農業の原点と考えています。 |
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・後藤佳和・紀子さん |
後藤佳和さんと紀子さんは清野のおよそ10アールの畑でたまねぎを栽培しています。品種は生で食べても辛みが少なく甘みが極めて強いといわれている“甘70”です。このあたりのたまねぎはかつては水稲の裏作として作られてきました。いま、後藤さんはたまねぎのほかに、長いも、葉菜、ゴボウをつくっています。「曇雨がつづくと“べと病”などの病気にかかる心配で悩まされますが、わたしがつくったものを食べてもらえると考えるととてもうれしいし、それだけの努力もしているから、自信をもって送り出しているんです」。信濃の穀倉地帯といわれる善光寺平のまんなかで後藤さんの農業にかける情熱は枯れることはありません。 |
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・窪田豊機さん 市川利雄さん 小林壹男さん |
大岡の窪田豊機さん、市川利雄さん、小林壹男さんらのグループは、10年程前からニンニクの栽培と活用に取組んでいます。高齢化によって米作りが困難になりつつあるなかで、収穫と出荷の調整が比較的容易にできるニンニクに注目しました。また、タマネギより栽培が楽で、熊や猿の害にもあわないことも利点です。栽培種は「ホワイト6片」。昔からニンニクはさまざまな薬効が認められて強壮剤として用いられてきました。ニンニクを食べていれば風邪をひかないといわれてもきました。グループでは「にんにくの甘露煮」を試作しました。年をとっても地元で農業ができるように、それによって人のつながりができ、経済的支えがしっかりできるように、これが目標です。 |
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・中村毅さん |
松代東条ではいま、あんずの収穫の最盛期をむかえています。東条は千曲市森・倉科とならんで善光寺平のあんずの名産地です。中村毅さん(71)の畑では一家総出のたのしい収穫作業が行われています。栽培種はジャムにすると最高に美味な新潟大実。あんずは4月の開花から6月の収穫までの時間が短い上に袋掛けの作業もいらず、実の色で収穫期が判断しやすく、キズになりにくいのが長所。あんずの美味しい食べ方を奥様の信枝さんに教えていただきました。<あんずの一夜漬け>あんずを二つに割り、3%の塩で重しをのせて6時間ほど漬け、水が出たらよく拭き取って、好みの量の砂糖をふりかけ、冷蔵庫で適度に冷して食べると美味しいそうです。おためしください。 |
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・轟誠一・永子さん |
大豆島の轟誠一・永子さんはトルコギキョウを栽培しています。およそ20年前、栽培効率に優れ、価格が安定していることからトルコギキョウの栽培をはじめました。もっぱら誠一さんが力仕事、永子さんが花の管理を担当してきました。6年前に誠一さんが退職。いまはお二人で毎朝3時からいっしょに働いています。毎年11月に種をまき、6月初旬から収穫作業が始まります。週三回の収穫でおもに東京の市場に出荷されています。小さい芽を整理して、丈をあわせるなど丁寧な出荷作業が行われています。シュークリーム、エクローサブルー、北斗星、プティフルグリーンなどロマンチックな名前に囲まれている仕事場です。 |
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・清水正文さん |
清水正文さん(46)は飯縄山の裾野・標高約1050mで23アールのピーマンを栽培しています。ピーマンをはじめて7年、品種は高冷地に適した京波です。狭い畑でも長い期間で栽培できるのが魅力です。清水さんは30代で脱サラし、果てしない可能性をめざし、金儲けだけが目的でない、百姓のための百姓をやってみようと農業に取組んでいます。「毎年の仕事はこれと決まったことがなく思い通りにいかないもので、自然との知恵くらべです。いまは引き分けといったところでしょうか、学ばせてもらうことばかりです」と語る清水さんが大切にしていることばがあります。「天は高い、地は広い」は清水さんの農業の原点です。 |
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・荒井久三・優子さん |
空気が澄切り風さわやかな飯綱高原で荒井久三・優子さんがキャベツをつくっています。毎朝3時からの仕事です。この生活をもう30年も続けています。その一途が金沢市場で認められ「芋井のキャベツ」として信頼されています。「やわらかく、あまい」と評判です。4月末からの作業は雪が舞い始める11月上旬まで続きます。キャベツがりっぱに成長するまで100日間。その間、荒井さんは愛情を注ぎ、日々の成長を見守り、ここで育ったキャベツのできばえに絶対の確信を持っています。さらに久三さんと優子さんの仲の良さとやさしい人柄がキャベツをさらに美味しくさせています。 |
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・今井功さん |
鬼女紅葉伝説の山・荒倉山のふもとで今井功さんが栽培するミニトマトが完熟をむかえようとしています。今井さんは79才。一人で150坪800本のミニトマトの他、かぼちゃやきゅうりの栽培にも取組んでいます。今井さんがミニトマトを作る上で一番にこだわっているのは土づくり。米ぬかや油粕を有効につかう工夫をしています。そしていらない葉や芽を取って、こつこつと枝を整えてあげるのもおいしいミニトマトをつくるための大事な仕事です。今年も宝石のように熟したミニトマトは生涯現役を目指す今井さんの農業にかける心意気そのものです。 |
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・西沢和教さん |
市内真島町の西沢和教さんはプルーンをはじめとして、さくらんぼ、もも、ぶどう、りんごの栽培をしています。なかでもプルーンはニューシュガー・スタンレー・ベイラーなどを15アールほど栽培しています。とりわけベイラーは糖度が高く、甘味があり人気です。「プルーンは品種で売り消毒はできるだけ少なく」を心がけ、40〜50グラムの大きさで出荷するのがポイント。プルーンは小さく育てるほうが難しいそうです。学生の時に父親が他界、ちょうどそれがリンゴの剪定時、すぐに消毒と、父親にかわって農作業を続けて行くうちに27年、農業にとりくむ日々がきょうも続いています。 |
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・酒井忠行さん |
川中島町御厨。酒井忠行さんはここで50年もの間、桃を栽培しています。地元の農業高校の卒業を待たれるようにして家の農業を助けてきました。当時、リンゴの木の間に植えた桃の木(品種:大久保)が50年経って、全国でも有名な桃の産地になりました。酒井さんは40アールで桃を栽培しています。「斜立主幹形仕立て」を考案した千野正夫さんとは小学校から高校まで同級生でした。お互いに相談し合い、励まし合って農業に取組んできました。今年、酒井さんのその志が「後澤憲志基金賞」として褒賞されました。いまは長野県で生まれた新品種「なつっこ」の収穫期。そして超ブランド「川中島白桃」は袋がとれ、葉摘みをし、太陽の恵みをいっぱい受け取って色をつけ味を深めています。 |
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・藤岡紀子さん |
栄峰は藤岡紀子さんの両親たちによって開拓されました。「両親がこの地に来たのは2月。その時期でもドラム缶の高さまで雪があったそうです。カラマツを切り倒し、牛や馬を使ってその根を引き抜き、畑を少しずつ拓いていったと聞いています」。戦後間もない時期、開拓という厳しい人生の道を選択した両親。そして、みずからの生きる糧を求める両親。家というひとつの機械をまわす歯車のひとつとして紀子さんも子どもながら必死に両親を助け働きました。親は子を思い、子は親を支え、家族はひとつの方向に舵をとる船のようかもしれません。高校を卒業してからもその船から紀子さんは自ら降りようとはしませんでした。今年も、藤岡さんの両親が切り開いた大地は豊かな実りでみなぎっています。 |
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・山口明晴さん |
上ヶ屋麓原。昭和20年、東京の空襲から逃れて来た13才の明晴少年は家族とともに父・兼次郎さんの生まれ故郷に近いこの場所に移り住み開拓をはじめました。クワひとつに、カマひとつ、満足な道具もなく、食べるものもなく、農作業の術も知らずただただがむしゃらに体を動かすだけだったそうです。山菜で空腹をなぐさめ、米がある日はフスマを混ぜて醤油をかけて胃袋に流し込む、そんな生活が何年も続いたそうです。切り倒したカラマツの株の間に畑をつくり、思い通りの収穫もないままに次の希望へと日々をつないできました。けっして挫折をしない忍耐こそが荒地に灯をともす唯一の道だったのでしょう。自らの生きる糧を求めて耕した大地に山口さんらの魂がしっかりと根づいています。 |
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・石坂宏さん |
長野市信更町信田地区は県内一の種籾の産地です。コシヒカリ、あきたこまちの種籾が作られています。その広さは6660アールで180戸の農家がその生産に取組んでいます。石坂宏さんは昭和33年に高校卒業と同時に家の農業に就き、以来50年にわたって種籾の生産につとめてきました。今年の種籾の出来具合は次年の米の生産に大きく影響します。それだけに収量が多く、品質にすぐれ、病害虫に強い種籾づくりが石坂さんの日々の心がけです。こまめな水管理そして穂が出始めると“異品種抜き”が大事な作業になります。また、肥料少なめにして稲が倒れないように気を配っています。石坂さんをはじめここに住む人々は長い年月をかけて種籾産地の信用と実績を培ってきました。 |
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・太田宗弘さん |
長野市篠ノ井岡田にある共和園芸農業協同組合はリンゴだけの専門農業協同組合です。そもそもは昭和21年更級郡共和村に設立された共和青果物出荷組合がはじまりです。現在の組合員は350名。栽培面積は約150ha。そのうちリンゴは147haです。長野県のリンゴ栽培は明治7年から始まったといわれています。生産のほとんどは長野盆地に集中していて、津軽平野に次ぐリンゴ地帯になっています。なかでも“共和のリンゴ”は絶対的な信頼を得ています。まずは地元の人に味わっていただきたい。その精神が信頼の根幹を支えています。何十年も前に地産地消の精神がこの土地に芽生えていたのです。その誇りこそが出荷量5554t、販売金額13.6億円の実績につながっているのかもしれません。 |
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・小林喜三博さん |
長野盆地は上田盆地とならんで巨峰の産地です。豊野・蟹沢の小林喜三博さん(58)は水田から転作して、20代からぶどうの栽培に取組んできました。現在は5反歩で栽培をしています。この地域の生産量は10年前から比べると生産者の高齢化にともなって当時の半分ほどになりましたが、1ケース4kgで5万ケースを出荷しています。巨峰(たねなし)は8月下旬頃から収穫がはじまり9月が最盛期になります。6月の開花期の夜温が14度以下になると成長が止まり良い実ができにくいといわれています。また寒暖の差が甘味をつくるのだそうです。ぶどう一粒がおよそ20g。それが30〜35粒ついて一房になります。妻の公子さんといっしょに秋の実りの喜びを実感しています。 |
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・荻原照男・洋子さん |
江戸時代、戸隠の九頭竜神の第一のお供えは梨が第一とされ、郷土史家・宮澤和穂氏の研究によると、「江戸時代の「和漢三才図会」には「伝曰、神形九頭、而在岩窟内、以梨為神供」と記され、神津文雄氏によれば、歯の神様として九頭竜神が多くみられるとともに、歯痛の際に行われるさまざまな習俗の中には、梨が関連して登場するという。このように九頭竜神は、梨を第一の神供とする歯の神様として広く周知されていた」(「長野」第170号)しかし、なぜ歯痛と梨が結びついているのかはよくわからないそうです。梨は白い花を咲かせてから150日が収穫適期といわれていて、荻原照男さんの16アールの梨畑はいまが収穫の真っ盛り。妻の洋子さんとのなごやかな作業が来月10日ごろまで続きます。 |
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・立山幸孝さん |
篠ノ井塩崎林見でりんご栽培を営む立山幸孝さんは67才。りんごづくり40年のキャリアです。陽当たりよい傾斜地のの土地で収穫適期を迎えようとしている「秋映」。10アールほど栽培しています。「秋映」は「シナノゴールド」、「シナノスイート」とともに長野県で生まれた品種で「信濃りんご三兄弟」とよばれています。「秋映」は中野市の故・小田切健男さんが「つがる」と「千秋」を交配し、育成した品種で、平成5年3月に品種登録されています。独特な濃いあずき色、甘味が多く、日持ちがいいのが特徴です。立山さんには「りんごはやっぱり赤くなければ」という強いこだわりがあります。この時期、旬の赤色に囲まれての仕事に追われて休む暇はありません。 |
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・中澤齋・紀子さん |
市内上野の中澤さんは陽当たりの良い南斜面の4反歩の畑でふじ、秋映、シナノゴールド、シナノスイート、ぐんま名月、シナノピッコロのりんごを栽培しています。今月10日すぎにはシナノスイートの収穫がはじまります。かつて中澤家では1000箱のりんごを出荷していたこともあり、およそ10万個のりんごのひとつずつに袋掛けをしていました。ご主人は会社勤めでおもに紀子さんがりんご栽培に取組んできました。りんごは1年に一度しかできないもの。毎年毎年が真剣勝負。だからこそ改善と努力を続けてきたそうです。きょうも、りんごのひとつひとつに語りかけるようにして作業が続けられています。紀子さんが育てたりんごはもうすぐ旅立ちです。 |
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・平山豊文さん |
平山豊文さんは長野市内上ヶ屋のビニールハウス18棟でイチゴを栽培しています。栽培は長野県オリジナルの「サマープリンセス」と北海道生まれの「スズアカネ」の高冷地栽培に適している二種です。イチゴハウスでは作業性にすぐれている高設栽培とコストがかからず地力をつかえる土耕栽培が行われています。夏秋のイチゴはいままではアメリカ産の冷凍ものが主力でしたが安全・安心の国産品が求められてきています。平山さんは30代で運送会社を起し青果物の運送をてがけるなど生鮮流通の仕事をしてきました。平山さんは「イチゴの仕事は管理をしっかりやりさえすれば実がなり、手をかけた分だけ結果にあらわれ、収穫の喜びを1年のうちで何回も味わえるのが魅力」と語っています。 |
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・山口庄一さん |
信州は古くからソバの名産地でした。戸隠では水田が少なく大事な主食でした。“ソバは75日”などといわれて畑にまきつけてから収穫までの期間が短く、戸隠のほとんどの農家では麻の裏作として栽培されました。一日一食はソバ。夜の食事はソバと決まっていたそうです。平成18年から戸隠そば再興大作戦会議会長・山口庄一さんは戸隠のソバを昔のものに戻そうと13人の仲間とともに在来種復興の大作戦に乗り出しています。旧来の種を2年間の試験をして栽培する品種を決めました。黒化率70%がもっとも刈取り時期に適しているといわれています。今月いっぱい刈取りに追われるそうです。地元で穫れたソバが地元のソバ店から頼りにされることが多くなり山口さんらの大作戦の効果も上々です。 |
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・柴田清士さん |
長野市信更町。柴田清士さんは10年前からヤーコンの栽培に取組んでいます。南米アンデス高地を原産地とするヤーコン。柴田さんは「ヤーコンを食べて信更のみんなが元気でいられるように」と願って養蚕の桑畑の遊休農地を開墾し辛抱強く栽培に取組んできました。ヤーコンは生活習慣病の予防に効果的といわれていて、その製品化にもとりくみ「ヤーコン茶」を開発しました。ヤーコンの料理法は、生で食する場合は皮をむき塩水で3分程アク抜きするか、レモン汁をかけると茶色く変色しにくくなり、加熱する場合はタワシなどでよく洗いヤーコンを皮ごと料理してもいいそうです。家族が助け合ってヤーコンに本気でとりくむ柴田家の家庭円満がまずはヤーコンの効用となっています。 |
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・宮尾英一・三代子さん |
宮尾英一さん(54)と三代子さんがゴボウの収穫に追われています。英一さんは6年前にそれまで勤めていた会社を退職して以来、父のあとを継いで農業に就き、「月によっては収入がないこともあり、会社勤めの月々の給料生活のありがたみを知った」英一さんですが、いまはラ・フランス、長いも、25アールのゴボウを栽培しています。品種は山田早生。ゴボウ抜きという言葉がありますが、収穫作業は”抜く”ものではなく“掘る”ものなんですね。ゴボウはいまが旬。収穫は年内いっぱい続きます。「安心して食べられて、宮尾さんちのゴボウはおいしいね、と言われるものをこれからも作り続けたい」と三代子さんははりきっています。宮尾さんがつくったゴボウはAコープ松代店で販売しています。 |
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・関博文さん |
関博文さんは平成5年の「長野県うまいくだものコンクール」で農林大臣賞を受賞した「ふじ」を主体にして、葉摘み・玉まわしの手間がかからない加工に適した品種にも力を入れて、ブラムリー、グラニースミス、春紅玉、ピンクレディーなど多品種の栽培を柔軟に取組んでいます。特にピンクレディーはオーストラリアで育種され世界的に注目されていて、関さんはその「日本ピンクレディー協会」副会長として加工適正の研究に力を注いでいます。いまもっとも関心を持っているのはスイーツ業界との連携で、近隣の洋菓子店に積極的に売り込みをはかっています。また、仲間といっしょにシードル(リンゴの発泡性果実酒)の試作にも取組んでいます。ひとつひとつの夢が関さんを支えています。 |
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・芳川智恵さん |
芳川智恵さんが代表をつとめる(有)さんやそうは地元でとれた新鮮な野菜や果物を販売するグループと一緒に長野市大門町のJAながの門前農館で長野の郷土食を作って販売しています。そもそもはJA女性部で活動していた女性グループがうまいおやきを全国にとどけようと平成14年にスタートしました。いまは16人のメンバーが交代で働いています。スタッフは自らはもちろん市民や観光客の“よりどころの場”づくりに心がけています。おやきの具の野菜は地産地消にこだわっています。なかでも「辛大根」は自慢の品で評判も上々です。おやきのほかに旬なメニューの開拓にもとりくんでいます。これからの寒い季節にはたくさんの野菜と太めのうどんを料理した「ぶっこみうどん」がぴったりです。 |
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・松本義久さん |
飯綱ふれあいファーム直売所は長野市地産地消協力店として認定された12店舗のうちのひとつです。地元、芋井・飯綱高原で生産されたものを近隣地域で消費していただこうと平成10年にスタートしました。農協を退職した松本義久さんが代表をつとめています。リンゴ、ジャガイモ、マメ、ピーマンなどがふんだんにならんでいます。市街地からはもとよりリンゴや野沢菜のシーズンは新潟県などから多くの皆さんが買い物に訪れます。また、インターネットによる注文を受けて発送もしています。地元の人のよりどころになっていて昼時には店内で何人もの人がお昼ご飯を囲むことも珍しくありません。生産者と消費者の交流以上のつながりがここから生まれています。 |
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・鬼無里手づくり味噌の会 |
鬼無里手づくり味噌の会のみなさんは手づくり味噌を通して地域おこしと仲間づくりに取組んでいます。会員は25名。一年目の昨年は300キログラム、今年は1000キログラムを販売します。採算がとれるようになるには1トンが目標で、今年は来年販売用に1.5トンを仕込みました。いまは皆がボランティアですが、来年こそは人件費が払えて儲かるようにしたいと真剣に取組んでいます。大豆と米は地元でとれたものを使い、塩は沖縄の塩・シママースを使っています。価格は普通の塩の3倍もするそうです。鬼無里の精魂が込められた手づくり味噌は500g入り550円、800g入り750円で、鬼無里農林産物直売所ちょっくらで販売しています。ぜひ、お買い求めください。 |
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・(有)たんぽぽ 小池峰子さん |
(有)たんぽぽの代表・小池峰子さんはエネルギッシュな人です。長野市信里は戸数450の典型的な中山間地です。平成4年から小池さんら地元農家の女性たちがふるさとの遊休農地の活用と誰もが生きがいと希望を持って生活して働ける環境づくりに取組んでいます。地元の採れたての新鮮で安心して買っていただける直売所を開くことから事業をスタートさせ、さらにおやき工房をつくりました。さらに焼きたてのおやきとみそ汁、手作り豆腐の「薬膳おやきセット」は信州味コンクールで表彰されました。また地産地消に心がけたお弁当はふるさと弁当大賞最優秀賞を受賞しました。そして昨年の「日本農業賞特別部門第3回食の架け橋賞」受賞はみんながいっしょに頑張った証です。 |
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・松代農産加工所あんず村 |
松代のやるきがあってチームワーク抜群の10人の女性グループが「松代農産加工所あんず村」をたちあげたのは3年前です。「皆がまじめで、仕事の鬼で、ズルをしらない人の集まりです」とまとめ役の小林正子さんが胸をはります。それぞれが出資金を出し合ってスタートをしました。「おやきはたくさんあるけれど、それぞれに特色があり旨い、うちのおやきもそのひとつです」とスタッフが自信をもって作っている「あんず村のおやき」は地元特産の長いもをすりおろし、それを小麦粉にまぜているのがミソで、まさにその味噌もそれぞれの家で仕込んだ味噌をつかっています。そして松代東条の特産である杏を生のまま酢でしめて加工した「あんず村のあんず砂糖漬け」はどこにもない風味があります。 |
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